〜みんなの広場〜 農民画カフェへようこそ!
このコーナーでは、農民画ファンのみなさんからのお便りを募集しています。
ご自分の部屋にある農民画自慢をしていただくのはもちろんのこと、絵をもとにエッセイや詩を添えていただいたり、
また絵にまつわるエピソード。。。中国滞在中の思い出や、絵との出会いを語っていただくのも大歓迎!!
どうぞお気軽にメールをお送りください。 農民画の写真も忘れずに添えてくださいね。 額装やインテリア自慢を兼ねてもOKです。
メールの宛先→ nihonnoumingakyokai@yahoo.co.jp
とんぼ |
「とんぼ」 曹 金根
その瞬間は今年もやってきました。 毎年とくに待っているというわけではありませんが、何か約束を果たされたような安堵感があるものです。 今年は例年になく酷暑で、また足の長い夏でもありましたが、それでも9月も終りに近いころ、赤とんぼはちゃんと やってきました。田んぼで年々繰り返される稲の生育サイクルと赤とんぼの生態はとても密接な関係があるそうです。
先日、協会員のみなこさんが話してくれました。 刈りとった稲束をはせ架けにする頃合いを待ち、赤とんぼは それまで生息していた高地から、産卵のために里の田んぼへと下りてくるのだそうですね。 秋に赤とんぼを見て胸がきゅんとしたり特別な思いがするのは、あの赤とんぼの童謡のメロディーのせいだけではなく、 稲作を代々続けお米を食べてきた我々民族のDNAの作用なのかもしれません。
この絵の作者の曹さんも稲作の盛んな水郷で育った方ですから、やはり様々なトンボを日常目にしていたのでしょう。 絵の中の子供たちは、空に向かって手を上げて指にトンボのとまるのを待っているのでしょうか。 「こっちにおいで、おいで」とじっと目を凝らして姿を追っていると、確かにトンボはこんな巨大に見えるかもしれません。
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中秋節の贈り物 |
「中秋節の贈り物」 盛 璞
1年で月の最も明るく輝くころ、中国の農家にお邪魔したらこんな風景に出あえるのでしょうか。
中国江南地方の伝統的な藍印花布(藍染の布)の深い藍色の上ににぎやかに並んでいるのは、知人友人からの贈り物や、 収穫したばかりの野菜や果物。 家族や友人が集う中秋節の楽しい気分が伝わってくるようですね。 卓上には、くわい、柿、菱の実、蓮根が置かれ、月餅のお重の中にはざくろ、バナナ、蓮の実が詰められています。 藍染めの布の一番目立つところには招貴人の象徴である鳳凰が羽を大きく広げている模様が見えます。 食卓の奥には紹興酒 [女儿紅] が封を解かれるのを待っています。 もしかしたら、このお宅にはもうじきお嫁入りする娘さんがいるのかもしれません。 普段は古い水郷の町の風景を好んで描く作者、盛璞さんですが、この絵はお嬢さんへの想いをこめた特別なものなのでしょうか。 そんなふうに想像すると、とたんに画の中の紅い色が一層鮮やかに目にとびこみます。 蓮根の両端に近くにある藍染の模様、丸の中の菱形は、お金を意味するものです。 娘の新しい家庭にもお金がたくさん連(蓮)なって入ってきますように、と親心は結構現実的です。
農民画にはストーリーがあります。 皆さんも是非絵解きをしてみてくださいね。 (ヒラノリエ)
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伝説の桃 |
戚 藕弟 金山農民画院
不老長寿の桃がなるから、夏の金山にも来てみるといいよ、と農民画院のスタッフに言われたのがどうしても忘れられなくて、 言われた通り足を運んだときの感動は今でもとても新鮮です。 2008年の夏のことでした。
上海に住んでいる時には縁が無かったのか、目にも耳にも入ってこなかった蟠桃というめずらしい品種の桃は、昔から西王母の庭に
あって食べると不老長寿の効用があると言われてきました。 孫悟空が蟠桃の畑の番人をしていながら自ら盗み食いしてしまい、
お釈迦様の罰をうけた、あの桃です。 実物に出会う前は、そんな伝説のイメージから古めかしい姿を想像していましたが、
いざ目にすると、思わず「可愛い!」と叫んでしまうほど愛らしいものでした。 まるでバラの花びらのような色合いと形をした桃でした。
まん丸ではなく、かなりつぶれていて、しかもおへそがあるかのように真ん中がくぼんでいます。 中にはくぼみが穴になってしまって
ドーナツみたいな形のものもありました。 座禅桃という別名があるのも納得です。 座禅を組んだ時の足の形にみえます。
しばし興奮して眺めていましたが、熟れていそうな赤みの強いものは?いでいいと言われたので、早速桃狩り開始。
中国の伝説の桃が、今まさに自分の手の内にあると思うととても愉快でした。 その手に取った感触は水密桃よりかなりしっかり
固く、水分が少ないということが伝わってきましたが、ガブリと口にして意外だったのは、その粘性です。ジューシーというより、
ねっとりしていました。 ただ、私達が桃を採った時はまだ収穫には早い時期だったので、実はあまり甘みがなく正直ちょっと
がっかりでした。 まぁ、伝説上の果物だということで人々はこの桃を有難がっているということであって、味は二の次なのだろうと、
それまでの期待を収めました。
帰りがけに、桃畑の人がしきりに、1週間たったらもっと美味しくなると話すので、私以外の上海在住の友人達は箱買いして
いました。果たして1週間後、一緒に桃狩りをしたその友人達から続々と便りが来ました。
「本当に残念でしたね。あのときの桃は今絶品です。 ねっとりと魅惑的な甘さになり、美味しくていくつでも頂けます」
蟠桃を食べに行こうと言いだした本人が一番美味しいところを逃がすなんて! と少々悔しい思いです。
この絵はその時にひとり複雑な心もちでながめていた、甘くない思い出の一枚です。 (ヒラノリエ)
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愛水護水(水を大切に) |
「愛水護水」 朱 素珍
長らく地球を離れていた野口聡一さんが、宇宙から帰還したあと地球についてしみじみ語っていましたね。 「流れる水があること、それはとてもありがたく素晴らしいことです。」 川面に浮かぶ緑がゆらゆらと躍っているように見えました。 川に浮いている藻などをさらって清掃している絵なのだと、 何気なく見慣れていましたが、お陰で特別にハッピーな一枚に思えてきました。
「水を大切に」という題目の脇にはサブタイトルがついています。 ”水は生命の源泉。水は万物の母”。 そんなふうに水を讃えているわりに、絵の中の川は非常に平べったく色紙をジョキジョキ切って貼り付けたような あしらいを受けていますね。 太鼓橋や小舟がしっかりと存在感があるのに何とも対称的です。 このへんの朴とつさが見るものをほっとさせる農民画的’抜き’です。 画の作者の朱素珍さんは、中国政府から農民画師の称号を与えられた限られた20数名の中のお一人ですから、 そんな子供っぽい表現も実はしっかり計算されたうえでのことでしょう。 休暇の計画もそわそわと夏の到来が待ち遠しいですが、私たちの流れる水のために雨にもうひと頑張りしてもらいましょう。 (ヒラノリエ)
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花 傘 |
「花傘」 懐 明富
今月の農民画は「花傘」。 画面いっぱいに色とりどりの傘が咲き、パッと心も明るくなりそうです。 気がします。 中国の江南地方の人も梅雨と聞くと、しとしといつまでも降り続く静かな雨を連想するそうです。 揚子江の中・下流域のおいしいお米と梅雨は深い関係があるそうです。 昔から人々に豊かな文化をもたらした恵みの雨ですね。 雨、雨傘といえば忘れがたい思い出があります。 上海では、私も駐在員妻の例にもれず、週に数回中国語のクラスに通っていました。 日本人が数人、韓国人が数人の和気藹々と会話のはずむとても楽しいメンバーでした。 担当していた酉先生は大学院生で文学青年、若いのにとても気の利くので大変な人気者でした。 ある日クラスのみんなで食事会をした時のことです。 朝からしとしと雨が降っていたのに、待ち合わせ場所に到着した 酉先生の手には傘がありません。 不思議に思いたずねると、「傘」は発音すると「san」(第三声)。 その音は「散」という漢字を 連想させるから、自分はみなさんとバラバラになりたくないので今日は「傘」は持たないで来た」 というのです。 その真偽のほどはさておき、何て素敵なセリフでしょう。 あこがれの先生にそんなことを言われ、私たちはしばし興奮状態でした。
梅雨のシーズン、日常の雨降りはやっかいですが、雨音はときにこんな微笑ましい思い出を連れてきてくれます。 (ヒラノリエ)
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みんなで環境保護 |
「みんなで環境」 孫 恵珍 〜画集 金山農民画法制作品集・2009 より〜
いよいよ上海万博の開幕です。 何年もかけて国を挙げて準備してきたお祭りですから、どんなにか晴れやかなことでしょう。
子供たちと科学技術館を訪れ、張芸某(チャン・イーモウ)が監督となり制作された上海万博のプロモーション用フィルムを 観る機会がありました。 上映時間は確か10分ほどだったでしょうか。 黄浦江沿いに万博会場がどんな風に設置されるのかを俯瞰で見せてくれたり、万博開催国として外国からのお客様を こんな風に迎えようというインストラクション的な場面があったり。 文章にするとありきたりな内容も、チャン監督の うっとりするようなドラマチックな表現法によって、見ている者の心を沸たたせるショートムービーに仕上がっていました。 ただ美しく仕上がっているだけでなく、大衆の愛国心やプライドやリーダーシップ、そんな国を挙げてのイベントの原動力になるものを 刺激するフィルムでした。 私はそのひとコマひとコマに中国らしさを大いに感じ、なぜか嬉しくなりました。 上海を去りがたい気持ちが一層強くなったのを思い出します。 そのチャン監督の、優しくも強く大衆にうったえるフィルムは、農民画のはしりといわれる、 1950年代に農民たちが描いていた絵を彷彿とさせます。
3月の終わりに、万博をあと1ヵ月に控えた上海の街に行ってきました。 長居はできませんでしたが、それでも街と人が万博に向けてエネルギーを放っているのを感じるのには充分でした。 街中あちこちでメイクアップ工事をしているのは周知のことでしたが、飲食店が日本とほぼ同時期に全席禁煙をうたい始めたこと、 コンビニでレジ袋代を請求されたことには衝撃を受けました。 通りや公園、店の中のどこにでも「?保」(環境保護)の2文字が 掲げられ大波が押し寄せるが如くの徹底ぶりです。
家で使ったカラの電池はちゃんと専用の回収ボックスに入れてリサイクルをしようとしていますし、 エコバッグを手に提げ歩く人もだんだん増えているようですね。 青い空、さえずる鳥。 画の如く美しい環境を残そう! というスローガンが聞こえてきそうな作品です。 (ヒラノリエ)
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王 阿? こんなことを耳にしました。 街の書店では、NHKの語学テキストは4月号が断とつでよく売れるそうです。
よりみち書店
みなさん春ですよぉ |
「万物復蘇」 陳 娟紅
(ヒラノリエ)
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除夜の競演 |
「徐夕夜」 ???
あけましておめでとうございます。 新しい一年がみなさまに健やかな日々をもたらしますようにお祈りいたします。 今年は、新年はどのように迎えられましたか? お部屋の隅まで清らかにした方、お世話になった人に贈り物をした方、借金を返した方。 節目を迎える時、私たちは心をすっきりと居ずまいを正し、新しい一年に敬意を表しているのかもしれませんね。 私も日本人の例にもれず、お正月を静かな心で迎えるのが好きです。
ただ、あれは5年前のこと。 初めて中国の年越しを味わった時は、中国の人たちの新年を祝う熱さに触れ、心から愉快な気持ちになりました。 大みそかには花火をあげるらしい、ということは聞いていましたが、実際それは想像を絶する光景でした。 圧巻ですよ。 「すごい!!」 と叫ぶ自分の声すら轟音にかき消されてしまいます。 次から次へと休みなく火をつけられた花火が夜空を色どり、閃光が闇を薄めます。 夜であることを忘れてしまうほどです。 鼻には火薬のにおい、目には煙。五感はすっかり花火に占拠されます。 決して安くはない花火を、いい大人が楽しげに買い競う様子を目の当たりにし、 これがあの数百円のためにエネルギーを傾け値切り交渉をする人たちなのだろか、 と衝撃をうけました。 一瞬のうちに消えゆく名もないエンターテイメントに、みな自分の夢をのせているかのようです。 花火にかける意気込みを見たとき、そこに彼らの新年への想いを深く感じました。
農民画の中の月も星も花火に主役をうばわれていますね。 (ヒラノリエ)
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父の選んだ一枚 |
「大空を舞台に」 王 阿?
私と父は、まぁ世に言う水と油。 小さいころから何をするにつけ、「やめておきなさい。」「よしなさい。」「よく考えなさい。」 このセリフを何度浴びたことでしょう。 父にすれば、私はいつもどこか危なっかしいそうです。むこうみずにみえるそうです。 いつも私を承認してくれない。ながい間父に対しそんな印象をもっていました。
初めて農民画の郷、金山を訪ねて帰ってきたときも、また何かくぎをさされるのだろうなと確信してはいましたが、 それでも「この絵はいい!」ということを主張しておきたくて、買ってきた14枚の絵を全部箱からだして父に見せました。 そしたらナント、父は意外にも絵をひと目で気にいったようで、一枚一枚よく見いったあと、この凧揚げの絵を手にとって言いました。 「この絵お父さんに売ってくれないかな。」
とっても嬉しくて、ちょっと考えましたが、最初の一枚は父が購入。。。という記録もいいな、と思い、びた一文まけずにお金をもらいました。 以来この絵は、父の経営する店の一角に居座っています。たまに、店のお客さんが絵に視線をやると、父は 「これは中国の農民画といって。。。」とひととおり説明してきかせているのだとか。
この絵のタイトルは、「凧揚げ」というシンプルなものでしたが、私はちょっと気合いをいれて邦題を考えました。 目にしみるようなあざやかなロイヤルブルーの空に、京劇役者たちの色とりどりメイクされた面がとても映えています。 こんな隅どりされた目に睨まれたら、鳥たちも思わずひるんでしまいそうですね。 こんな名役者を一同に並べた凧をあげているその人は、さぞイイ気分でしょうね。。。とよく見れば、 この大凧をあげている本人は絵の中に描きこまれていないあたりが、いい味です。 (ヒラノリエ)
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蟹にまつわるエトセトラ |
「漁家酒」 張 新英
上海の街に木枯らしが吹きはじめる頃、街路樹の梧桐(マロニエ)から黄金色の大ぶりの葉が舞い落ちてきます。 自分の顔ほどの大きさもものもあり、踏みしめるとクリスピーな音がします。 栗を煎って売っている大きな鉄なべからは、香ばしいかおりが漂います。 迫りくる寒気に備え衣を重ねるこの時期にも、嬉しい風物詩はたくさんありますが、中でも上海毛ガニは不動の人気があります。
上海在住の頃は、外で食べると高いのでもっぱらスーパーで求めて自宅で蒸していただいていました。
一番印象に残っているカニにまつわる思い出は、「カニとのかくれんぼ」。
ちょっと留守にしている間に、しばっておいた紐が緩んだのか、ビニール袋に入れておいた6匹のカニが
みな逃げ出してしまったことがありました。 家族総出で捜索しました。
なかなか見つからなかった最後の一匹は、あきらめかけた頃、カーテンの陰で泡を吹く音を手掛かりに発見されました。
さて、絵の中のカニは、双喜の文字とともに左右対称の構図を演出してくれています。
裏返しになってお腹を見せているカニがいますが、このお腹のハシゴの様に描かれている部分に指をかけ中を割って食べ始めるのが
正統派だそうです。 上海人の皆さんは足をもいで、その尖がっている部分をピックの様に身をほじる道具にします。
一匹のカニを余すところなくとっても上手に食べるので感心します。
中国各地の農民画の中でも、絵にカニや漁の風景が描かれることはめづらしく、上海(金山)の農民画の特徴となっています。
(ヒラノリエ)
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九月の重陽節 |
「九月重陽節」 陳 芙蓉
今年の10月3日は皆さんもご存じのとおり陰暦では8月15日の中秋節にあたりました 当日の夜はあいにくの空模様でしたが、十四夜、十六夜は美しい月を見ることができました。 私たち日本人の生活はすべて陽暦で動いています。 もちろん中国だってオフィシャルには同様ですが、 彼らの生活の中には今でもかなり色濃く陰暦のリズムが残っています。 そしてとても大切にしています。 ○○ 節という日になると、家族や友達の間でお祝いのメールを送りあいます。 ぱっと見、垢ぬけない上海人のおじさんから、えもいえぬ叙情的な詩が送られてきたり。 そして何度も読み返すとちゃんと韻をふんだ文章になっていたりします。 なんて素敵なプレゼントでしょうね。
この絵は秋に巡ってくるもう一つの大切な日、9月9日の重陽節を祝っている様子を描いています。 私たちはあまり馴染みのない重陽という言葉は、中国の人たちが奇数を好んでいる(偶数は忌み嫌われているそうです) といううところから来ています。 陽の数、つまり奇数の最大数である「9」が重なる尊い日ということでお祝いする風習が古くからありました。 この季節に咲き揃う菊の花を飾ったりお酒に浮かべて飲んだりして楽しみます。 高いところに昇ったり、長寿のお祝いをしたりすることもあるそうです。 絵をよく見ると、四角く区切ったお餅に小旗をたてている人がいます。 これも重陽節にはよく見られる習わしだそうです。 船の乗客の数は数えてみると奇数。 どうぞ、と振る舞われているお茶も。。。奇数です。 (ヒラノリエ)
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